岩瀬曳山車祭は、毎年5月17日18日の二日間に行われる岩瀬諏訪神社の春季例大祭で、13基の曳山車(ひきやま)が岩瀬の町を曳き回されます。岩瀬の曳山車は、富山県内の各地に見られる豪華絢爛で優雅な曳山車とは趣を異にし、頑丈に造られた山車本体の上に「たてもん」とよばれる飾りを取り付けて、勢いよく勇壮に曳き回されるのが特徴です。昼の間はお囃子の演奏と木やりの音頭とともに町中の曳き回しが行われ、夜になると山車どうしが激しくぶつかり合い互いの力をくらべる曳き合いが行われます。この曳き合いの激しさから「けんか山車」という異名でも呼ばれているのが、歴史と伝統ある岩瀬曳山車祭なのです。 |
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今から約330年以上前、現在の東岩瀬の位置よりも西の方に西岩瀬の町がありました。ところが、万治年間(1658~1960)富山湾を河口とする神通川が氾濫を繰り返して流れを東へと移したため、西岩瀬は港としての役割を充分に果たせなくなってしまいました。そこで西岩瀬の人々は新しく川港となった東岩瀬へと移住し、新しく町をつくっていったということです。 万治2年(1659)東岩瀬へと移住してきた人々が西岩瀬の諏訪神社の分霊を勧請し、その際、ご神体に随行して神社の建築用材を井桁(いげた)に組んで運んだのが、曳山車のはじまりであると伝えられていますが、現在の郷土史研究では、東岩瀬のほとんどが消失した寛政4年(1792)の大火の後、復興を祝い災厄を防ぐ祈りのなかから、寛政8年(1796)に「あんどん山車」を曳くようになったという説が有力になっています。 <<< 「岩瀬曳山車祭の歴史年表(1659~)」はこちらをご覧下さい。 明治・大正・昭和の時代の記録写真を掲載しております。 |
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岩瀬の曳山車は、重量4トンもある重戦車のように頑丈な造りの山車本体の上に、和船の帆柱を心柱にした「タテモン」とよばれる飾りを取り付けて曳き回されます。タテモンは、木と竹を使った骨組みに白い布を張り、それに絵の具で絵を描いたもので、各町内で毎年新しく作りかえられます。タテモンの図柄は、描かれる絵や文字などの組み合わせに語呂あわせのような意味を持たせたもので、「判じ絵」とよばれています。例えば「鯛」「小判(両)」「松」の絵を組み合わせることで「大漁を待つ」と読ませるわけです。この判じ絵の図案は、各町内がそれぞれに、「商売繁盛」や「大漁」などを祈願したものや、時事的な事柄を表したものなど、毎年趣向を凝らして考案し制作しています。 |
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東岩瀬町・富岩運河にて 立山連邦を背に山車の曳き回し 5月17日18日の岩瀬曳山車祭には、13本の曳山車が昼間から町を巡行します。止まっている山車の曳き出しをするときには、必ず「木やり」が歌われ、曳き子全員が声を合わせてから、山車が動かされます。曳山車が動き出すと、木の車輪と芯棒のきしむ"ギー"という音が町に響き渡り、笛や三味線、太鼓の「お囃子」が演奏され、祭りのムードを盛り上げていきます。5月17日の夜には、高張提灯の灯がゆらぐ神輿の還幸に随行して、タテモンに灯を入れた13本の曳山車が諏訪神社を参拝します。ここでの曳き回しの景色はとても幻想的で美しく、その後行われる曳き合いとともに、岩瀬曳山車祭の見どころといえましょう。 東岩瀬町・富岩運河にて、夜の曳き回し 水面に映るたてもんの灯り |
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岩瀬曳山車祭のクライマックスである山車の曳き合いは、5月17日の夜、全ての曳山車が諏訪神社の参拝を終えてから始まります。表方と裏方の二つのグループに分かれた13本の山車は、対戦順に諏訪神社前に待機し、曳き合い前のにらみあいを始めます。充分に機が熟したとき、それぞれの山車の責任者である「山元」の合図とともに、向き合ったふたつの山車は激しくぶつかりあい、それぞれの山車からのばされたロープをもみくちゃになりながら勢いよく曳き合います。どちらかの山車が後ろにさがったときに、勝敗が決まります。5トンもの曳山車がぶつかりあい、双方の曳き子が自町の名誉と誇りをかけて全力で山車を曳き合うさまは、まさに圧巻の迫力です。 18日の夜には忠霊塔前に場所を移して再び曳き合いが行われます。岩瀬曳山車祭の激しく威勢のよい曳き合いは、昔から"やまのケンカ"と呼ばれてきました。しかしそれは、あくまでも遺恨の残らない曳山車どうしのケンカなのです。 |
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リンクエイジ http://www.link-age.or.jp ●協力: 沢辺次郎氏 専光勇郎氏 宇多道三氏 河上省吾氏 冨田宗継氏 古市剛士氏 ●監修: 岩瀬曳山車実行委員会 |